初級文法:多様で楽しい「~てしまう」の用法

初級文法:「~てしまう」を深掘りしてみます

「完了」と「残念」は、理解しやすい?

初級で扱う「~てしまう」の意味は2つ。

  1. 完了:昨日のうちに宿題を全部やってしまった。
  2. 残念:が、その宿題をうちに忘れてしまった。

ですが、実は日本語母語話者が使っている「てしまう」の機能は、もっと多岐にわたることを、日本語教師の皆さんなら、うっすら(いや強く?)感じたことがあるのではないでしょうか。

以前、コトハジメのブログでも、「てしまう」の用法はこの2つだけではなさそうだ、という話をしています。→「意外とややこしい、てしまう」

というわけで、今回はもう少し深堀りして、「てしまう」の第三、第四の用法についても考えてみようと思います。これは学生に説明するため、ではありません。完了・残念に限っていうと、学生には理解はたやすいからです。が、「てしまう」が身近な文型ゆえに、つい先生が口走ってしまって学生を混乱させないため、また、導入にはふさわしくない例文を提示してしまわないようにするためです。また、中級以降、教室から飛び出しリアルワールドで見聞きした学生からの質問に答えられるように、です。今回のは、講師のための転ばぬ先の杖として、の考察になるかと思います。

気になる例を挙げてみる

最近耳にして気になった使い方を紹介します。

場面

<歯医者の待合室>

受付:~さん、3階へどうぞ。

患者:(今日は)エレベーターで行っちゃいますね。※

※補足

この歯医者は3階建て。1階に受付があり、診察室は2階と3階です。もちろんエレベーターもありますが、それは階段を使うのが難しいお年寄りや小さい子どものためという暗黙の了解があります。

分析

「(今日は)エレベーターで行っちゃいますね。」

この文から読み取れる話者の感情の推移は、

・いつもは階段を使って行く(たとえ3階でも)

・しかし今日は誰も他にエレベーターを使う人がいなさそうだ

・ゆえに今日は私はエレベーターで行きますよ(使わせてもらいますよ)

です。

私はこの表現を聞いたとき、話者がエクスキューズ(弁明)をしているように感じました。エレベーターに乗ることをなぜわざわざ言葉にして使えなければならなかったのか。それは代替案(階段→エレベーター)が、自分の道理では「よくない」と感じているためでは?と感じたのです。

「行っちゃう(行ってしまいます)」は、大きくは完了(行くという行為を完遂する)の意味ではありますが、何かしら負の感情を含むように感じられます。かといって、初級で提出されているような「残念」の意味でもありません。

まとめの切り口を変えてみた

以上のようなことを考えていると、この文型の大局が少し見えてみたような気が…。

それは、「てしまう」の文型は「~て」+「しまう」。「しまう」は終わるということだから、大きな意味では何かが終わる、何かを終えるという意味なのだけど、文脈によって、またそこに関わる人の感覚によって「終わる」ことに対する肯定感があるものと、ないもの、肯否はなくとも何らかの感情(mood)があるように思います。以下、表にまとめてみました。

用法 意味・ニュアンス 例文
① 完了 動作や出来事が完全に終わる 宿題は昨日のうちに、全部やってしまいました。

避難所にいた人たちもみんなどこかへ引っ越してしまった。

② 後悔・残念 望ましくない結果に対する後悔や残念な気持ち 買ったばかりのスマホを落としてしまいました。

大学生のとき、あんなに漢字を勉強したのに、全部忘れてしまった。

③ 驚き 予想外のことへの驚きを表す あまり勉強していなかったのに、N1に受かっちゃった。

上司の不倫現場を見ちゃったんです。

④ 意志的な完了 強い意志や勢いで行動を完了させる 思い切ってマンション買っちゃった。

やっちゃえ!、やりたいことやっちまおうぜ!

子どもが帰ってこないうちに、(残り1個のケーキ)食べちゃおうかな。

⑤ 遺憾の正当化(エクスキューズ) 代替案(策・方法)の簡略化や、それが手抜きであることへの遺憾の意。それをあえて伝えることで行為の正当化する気持ちもある。弁解や弁明。 今日は炒めないで、炊飯器で炊いちゃいます。

雨だし、タクシーに乗っちゃおう。

夕飯は一人だったので、簡単に済ませてしまった。

 

「~てしまう」には、あることが終わって、どう感じるかという話者の心向き、文法用語でいうところのモダリティ(主観表現)があります。「~ました」というシンプルな過去の時制を用いる表現とは、結果の状態は同じでも、気持ちが違います。そして、話者の気持ちは使用場面や文脈によって大きく作用されます。

なので、「完了」の意味を教えるときも、少し文脈や場面や一緒に使う言葉、つながる表現を大事にして教えられるといいかなと思います。

例えば「せんたくをしてしまう」という表現一つにしても、

  • 午前中にせんたくもしてしまったし、午後からは好きなことができる。→行為の完了(完遂)がうれしい
  • 明日は雨だから、今日中にせんたくしてしまおう!→勢いで完了を目指す意志

また「食べてしまう」という表現にも文脈によっていろんな気持ちが乗ります。

  • 思ったより小さい町だったので、観光地と言われるところは一日で見てしまったし、名物も食べてしまったし、明日は何もやることがない。→完了したことへの、心もとなさ、さみしさ。
  • 誰も食べないなら、私が食べちゃうよ。→エクスキューズ
  • ポテトチップスって、こわい。開けるとつい最後まで食べてしまう。→遺憾や後悔

初級も後半になると、「その心は?」を問う表現がたくさん出て、どれを使うかで自分の「らしさ」が出せる。学ぶ苦しみ、楽しさの両方を味わうことができるということになりますでしょうか。

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