【日本語教師の疑問】N2なのに聞き取れない……それは本当に「聴解力」の問題なのだろうか?
「N2なのに、どうしてこんなに聞き取れないんだろう?」
日本語教師をしていると、こんな場面に出会うことがあります。
「この学生、N2に合格しているのに、会話になると全然聞き取れていない……」
あるいは、
「質問には答えている。でも、なんだか話がかみ合わない」
「こちらが言ったことを、少し違う意味に受け取っているような気がする」
そんな経験はありませんか?
もちろん、聴解力そのものに課題がある場合もあります。
しかし、「聞き取れない」という現象を、すべて「聴解力が低い」という一言で片づけてしまっていいのでしょうか。
以前、「N2なのに話せない学生」がなぜ生まれるのかについて考えました。
【日本語教師の疑問】N2なのに話せない…スピーキングが伸びない理由とは?
今回は、その「聞く」側に目を向けてみたいと思います。
そして、少し考えてみると、「聞く力」の問題は、実は「読む力」や「相手の意図を理解する力」とも深くつながっているのではないか。
そんなことに気づきました。
「聞き取れない」には、いくつもの段階がある
まず、「聞き取れない」と一言で言っても、その原因は一つではありません。
例えば、
- 音と文字が結びついていない
- 語彙が足りない
- 文法の知識が十分ではない
- 緊張や不安などで、聞くことに集中できない
- 次に自分が何を話すかを考えていて、相手の話を聞けていない
- 背景知識がなく、話の内容を理解できない
など、さまざまな可能性があります。
「文字で見れば分かるのに、聞くと分からない」という学生なら、音と文字が結びついていないのかもしれません。
逆に、文字で見ても分からないのであれば、語彙や文法など、別の部分に原因がある可能性があります。
さらに考えてみると、「音そのものは聞こえているのに、相手が何を言いたいのか分からない」というケースもあります。
ここからが、今回考えてみたいポイントです。
「読む」と「聞く」は、実は似ている?
私は最近、ある学習者を見ていて、こんなことに気づきました。
漢字を含む文章を読むとき、読むことに精いっぱいになってしまい、文章を不自然なところで区切ってしまうのです。
例えば、
「朝、歯を磨きます。」
という文を読むとき、
「あさわ、おみがきます」
のように、助詞や言葉のまとまりを正確に捉えられないことがあります。
もちろん、これは一つの学習者の例です。
しかし、ここから「読む」という行為について考えてみると、興味深いことが見えてきます。
文字が見えている。
一文字一文字も読める。
それでも、文章を意味のまとまりとして正確に処理できなければ、内容を理解することはできません。
そして、これは「聞く」場合にも似ているのではないでしょうか。
音は聞こえている。
単語も一つひとつ聞き取れている。
それでも、それらを文や会話のまとまりとして処理できなければ、相手が何を言っているのかを理解することはできません。
つまり、「聞く力」は、単に耳で音を拾う力だけではないのです。
聴解力とは、「音を拾う力」だけではない
例えば、次の会話を考えてみましょう。
A:「昨日の件、どうなった?」
B:「まだです。」
この会話だけでは、「昨日の件」が何なのか分かりません。
しかし、二人が前日に「来週のプレゼン資料」について話していたことを知っていれば、
「昨日の件」=「プレゼン資料のこと」
だと理解できます。
つまり、人は会話を聞くとき、耳から入ってくる情報だけを使って理解しているわけではありません。
それまでの会話。
自分が持っている知識。
その場の状況。
相手との関係。
こうしたさまざまな情報を組み合わせながら、「相手は何を言おうとしているのか」を推測しています。
これは、読解にもよく似ています。
文章を読むときも、書かれている言葉だけではなく、前後の文脈や背景知識を使いながら、筆者が何を伝えようとしているのかを理解します。
だからこそ、
「音を正確に聞き取ること」と「話の内容を理解すること」は、同じではありません。
そして、その先にはもう一つ、難しい問題があります。
「内容は分かる。でも、相手が何を意図しているのか分からない」
というケースです。
「会話がかみ合わない」のは、聴解力不足とは限らない
例えば、こんな会話があったとします。
先生:「来週の発表、準備は大丈夫ですか?」
学生:「はい、大丈夫です。」
先生:「じゃあ、発表する内容はもう決まりましたか?」
学生:「はい、発表は来週です。」
先生:「……はい、そうですね。」
これも、学生は先生の言葉を聞いているように見えます。でも、質問に答えているようで、実は質問の意図には答えていない。
こういう「ん?会話がちょっとかみ合わない」という場面は、日本語教師なら経験があるのではないでしょうか。
もちろん、このような場合には、日本語の理解そのものに問題がある可能性もあります。
一方で、音も聞き取れていて、単語の意味も分かっているのに、「相手がなぜこの質問をしたのか」「この場面では何を答えることが期待されているのか」が分からないということもあります。
ここで関係してくるのが、「語用論」という考え方です。
語用論とは、簡単に言えば、言葉そのものの意味だけではなく、その言葉が「どのような場面で、どのような意図で使われているのか」を考える領域です。
哲学者のポール・グライスは、会話が成立するためには、話し手と聞き手が暗黙のうちに一定の原則に従っていると考えました。
代表的なものが「会話の公理」と呼ばれる次の4つです。
- 量の公理:必要な情報を、必要なだけ伝える。
- 質の公理:根拠のないことや、嘘だと分かっていることを言わない。
- 関連性の公理:相手の発言と関係のあることを話す。
- 様態の公理:分かりやすく、明確に伝える。
例えば、
先生:「週末は何をしましたか?」
学生:「はい。」
これだけでは、情報が足りません。
一方で、
「朝7時に起きて、歯を磨いて、朝ごはんを食べて、それから……」
と、質問された以上に延々と話し続ければ、今度は情報が多すぎるかもしれません。
また、
先生:「今日は暑いですね。」
学生:「昨日、ラーメンを食べました。」
という返答なら、文法的には間違っていなくても、会話としては「どうしてその答え?」となります。
さらに、こんな会話もあります。
A:「今日、早かったですね。」
B:「ええ、道が空いていたので。」
ここでAが「早かったですね」を文字通り「早い時間に来た」という意味で言っているのか、それとも「いつもより早く来た」という意味なのか。
例えば、いつも遅刻する人に「今日も早かったですね」と言えば、文字通りの意味ではなく、皮肉として受け取られることがあります。
私たちは、言葉そのものだけではなく、状況や相手との関係などを手がかりに、相手の意図を読み取っています。
外国語学習者にとって、これは非常に難しい部分です。
そして、ここで一つの疑問が浮かびます。
ーーこれは、本当に「外国語だから」難しいのか?ーー
これは外国語だけの問題なのだろうか?――「意図を読む力」
実は、こうした「相手の言っていることが分からない」「話がかみ合わない」という現象は、外国語の会話だけで起きるものではありません。
日本人同士でも、
「いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」
「そこじゃなくて、私が言いたかったのは……」
という会話になることがあります。
ネット上のコメントの応酬でも、相手の文章をきちんと読まずに反応しているように見える場面があります。
書かれている内容そのものを誤解している。
前後の文脈を読んでいない。
相手が何を伝えようとしているのかという意図を捉えていない。
そして、これは職場でのコミュニケーションのズレや、さらには家庭内のいざこざにもつながっているのではないでしょうか。
「そんなこと言ってない!」
「いや、そういう意味でしょ!」
というやり取りは、もしかすると、言葉そのものだけではなく、相手の意図や文脈を正確に捉えられていないことが一因なのかもしれません。
そんなことを考えているとき、私が日本語教師になる前に読んだ、ある書籍を思い出しました。
新井紀子氏の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』です。
この本を読んだときの衝撃は、今でも覚えています。
そこでは、「文字が読める」ことと、「文章の内容を正確に理解できる」ことは同じではない、という問題が取り上げられています。
文字を読めることと、書かれている内容を理解することは別の能力なのです。
この視点は、日本語学習者の「聞く力」を考えるときにも、重要なのではないでしょうか。
では、日本語教師は何をすればいいのか?
では、このような「聞く力」を育てるために、日本語教師には何ができるのでしょうか。
もちろん、音と文字を結びつけるための音読やシャドーイング、ディクテーションなど、基本的な聴解練習は大切です。
私自身、実際の学習者に音読や復唱をしてもらう中で、興味深い変化を感じています。
例えば、講師の後について読む「復唱」では、単に言葉を繰り返すだけではなく、どこで区切るのか、どこを強く読むのか、どんな抑揚をつけるのかを意識してもらいます。
そうすることで、少しずつ「言葉のまとまり」を捉えながら読むことにつながっているように感じます。
そして、もう一つ大切なのではないかと感じているのが、自分の解釈をいったん脇に置いて、まずは目の前の文や耳に入ってきた音に集中することです。
私たちは、文章や会話を理解するとき、無意識のうちに「きっとこういう意味だろう」と、自分の知識や経験をもとに解釈しています。
その解釈が、ときには、自分の思い込みや解釈の癖によって、書かれていることや話されていることを違う意味に受け取ってしまうこともあります。
だからこそ、まずは「書いてあること」「実際に聞こえたこと」に注意を向ける。
そして、自分は、どこで意味を取り違えやすいのか、どんなふうに解釈する癖があるのかに気づく。
それが、「聞く力」や「理解する力」を育てるための第一歩になるのではないでしょうか。
「聞く」という行為を、単に音を聞き取る力だけではなく、目の前の情報を正確に捉え、そこから内容や意図を理解していく力として捉えてみる。
その視点を持つことも、日本語教師にできることの一つなのかもしれません。
まとめ:「聞けない=聴解力が低い」と決めつけない
「N2なのに、どうして聞き取れないんだろう?」
そんな学生を見たとき、私たちはつい、「もっと聴解の練習をさせなければ」と考えてしまいます。
もちろん、それが必要な場合もあります。
しかし、その前に一度、
「この学生は、本当に音が聞き取れていないのだろうか?」
と立ち止まってみてもいいのではないでしょうか。
音が聞き取れないのか。
語彙が分からないのか。
文の構造が分からないのか。
背景知識がないのか。
それとも、内容は理解できているけれど、相手の意図がつかめないのか。
「聞けない」という一つの現象の中にも、さまざまな段階があります。
だからこそ、日本語教師にできることは、まず「この学習者は、どこでつまずいているのだろう?」と考えることなのかもしれません。
「聞く」という行為を、単に「耳で音を拾うこと」と考えない。
読むこと、聞くこと、そして相手の意図を理解すること。
一見すると別々に見えるこれらの力は、実はどこかでつながっているのかもしれません。
そんな視点を持つことが、学習者の本当のつまずきを見つけ、よりその人に合った指導につながるのではないでしょうか。
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