「というものではない」は「わけではない」と同じですか?
という質問を校内の講師から受けました。大変興味深い質問だったので、今日はこちらでぜひシェアします。
「というものではない」も「わけではない」も「全部〜とは言えない」という部分否定の意味で使われます。この2つは同じとしている文法書もありますが、、、
⭕️ 1. 嫌いな人だからといって話さなくていいというものではない。
️⭕️ 2. 嫌いな人だからといって話さないわけではない。
️⭕️ 3. べつに彼が嫌いなわけではないんだけど…。
✖️ 4. べつに彼が嫌いというものではないんだけど…。
1.2はどちらも文としては成立しますね。3,4はどうでしょう。言い換えることができません。ということで、やっぱり「というものではない」も「わけではない」はまったく同じとは言えないのかも・・・。
「わけではない」との違いは?
4の「わけではない」でいくつか例文を作ってみますね。
- A:今晩の飲み会どうして来ないの?っていうか、来たくないんでしょ!
B:いや、行きたくないわけじゃないよ。仕事がたまってるからさ…。
- 毎日子ども達の弁当を作っているけど、弁当作りが好きなわけではないんですよ。
(「毎日作っている」という状況からして、料理が好きなのかな、親の愛情なのかな、ということが想像できます。でも、違うのよ〜。別に好きで作っているんじゃなーーーい!あ、私はね・・・)
というわけで、「彼が嫌いというわけではないけど」「怒っているわけじゃないけど」「ほしいわけじゃないけど」・・・これらはあくまでも私の話、個人的な話なのです。こういうタイプの「わけではない」は「というものではない」には言い換えられません。
なので、1と2は文としては成立しますが、ニュアンスが全く同じというわけではなさそうですね。
「わけではない」については、記事『「わけではない」は日本人っぽい!?』もご覧ください。
そもそも「〜ものだ」とは・・・
ベースとして「〜ものだ」には「一般的に見て〜だ」「他の人も〜と思う(はずだ)」という意味があります。
- 年を取るのは嫌なものだ。
- 人は誰でも間違いをするものだ。
- 人前に立つと誰でも緊張するものです。
- 「女心と秋の空」女性の気持ちというのはコロコロ変わるものだ。
でもって、その反対の「というものではない」も「一般的に・・・と思われているけど、実際はそうじゃないよね」というように、一般的、普遍的なものをいう場合に使われます。取り扱うテーマも「お金とは、人生とは」みたいな普遍的な真理・物事の本質を問うようなものが多そうです。
「わけでもない」より「というものではない」のほうが、ちょっと偉そうに or 凄みがあるように感じるのは(あれ、感じない?!)、扱うテーマが大きいからかもしれませんね。もう少し例文を挙げてみますので、違いを感じてみてください。
- 何でも多ければいいというものでもない。(日本語総まとめN2文法の例文より)
- お金があれば幸せというものではない。(日本語総まとめN2文法の例文より)
- 可愛ければ何でも許されるってもんじゃないのよ。
- 日本に来たら日本語が話せるというものでもない。
- スポーツはただ練習すればできるようになるというものではない。
- あやまれば済むってものじゃないのよ。わかる?
「というものではない」≠「というものだ」
「というものだ」の反対が「というものではない」ではありません。
- 夜中に電話をしてくるのは非常識というものだ。(日本語総まとめN2文法の例文より)
- 今日中にこれを全部終わらせるのが無理というものだ。(日本語総まとめN2文法の例文より)
- 困っている友達がいたら助けるのは当然というものだ。
- 自分がしたいことだけするというのはわがままというものだ。
- 努力したかいがあったというものだ。
「〜というものだ」は「本当に〜だと思う」「普通に考えれば(常識的に考えれば)〜だ」という意味の文型です。これは「一般的にそう言われている・考えられているけど、私もそれに強く同意する。本当にそのとおりだ。」というニュアンスで使われます。「〜というものだ」には否定形も過去形もありません。
「〜というものではない」は「〜というものだ」と形の上では対になっているように見えますが、意味用法が反対というわけではありませんので、ご注意を!!!
「もの」「わけ」はいろいろ意味用法があってややこしいですね。JLPT文法の対策本などは似ているものが同じページにドーンと登場するので日本語教師でも混乱することがあります。絶対に学生から質問があると思って、違いをわかりやすく提示できるような文を準備しておくといいですね。
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