日本語レッスンのタイムマネジメント:時間が余る問題についての考察

時間が余る問題

授業のタイムマネジメントについてのお悩みは、以下はっきりと二つに分かれます。

①時間が足りない
準備していた内容が消化できないまま、時間切れになってしまう。消化不良感が残りやすい。

②時間が余る
十分に準備したつもりでも、時間が余ってしまう。時間が余りそうと気づいたときの焦りや恐怖たるや…。

みなさんはどちらのタイプでしょうか。私は圧倒的に②。とりわけ日本語教師の駆け出しのときは、授業時間が余ることに異常な恐怖を感じて、それが強迫観念になり、いくら準備をしてもしたりない気持ちになったり、精神的に健全ではなかったような気がします。

で、あるとき気づいたのです。

時間が余ってしまうのは、準備の量が足りないのでも、ましてや学生の出来が良いから、というわけではない。なんのことはない、ただただ私の練習のさせ方に問題があったのだと。

また、ついつい学生の顔色をうかがってしまう、つまらないのではないかと要らぬ忖度をしてしまう、経験のなさからくる自信のなさで、「口を動かす!」という練習をさせてこなかった。つまり、私の心理的障壁の問題も大きかったのではないか、と気づいたのです。

というわけで、今回は経験から導き出した時間を余らせない方法について、つれづれなるまま書いていきたいと思います。

<導入にかける時間は十分か>

導入の肝は例文です。インパクトのある例文は、それだけで記憶に残り、学生の興味や学びのモチベーションを上げます。また、日本語だけで、該当文型の使用場面と機能を理解できることは、学生の自信にもつながります。導入こそ、直接法の強み、そのものなのです。

一つの文型を導入するのに、最低2つの文脈や場面、3つの例文が必要とされています。例えば、「つもり」という文型の導入を考えてみましょう。

ケース1:同僚との雑談、週末の予定
会話:
A 週末、何をしますか。
B ①今週忙しかったです。ぜんぜん運動しませんでした。
だから → 週末はジムに行く/運動する/プールで泳ぐつもりです。
②今週忙しかったです。つかれました。
だから → 何もしない/出かけない/リラックスするつもりです。
③今週あまり勉強しませんでした。
だから → うちで宿題をする/図書館に行って勉強するつもりです。

ケース2:抱負を語る
去年はあまり日本語を勉強しませんでした。今年はがんばりたいです。
→今年は日本語の勉強をがんばる/N4を受ける/毎日漢字を2つ覚えるつもりです。
→学校で英語を使わない/話さない/つもりです。

ある状況があり、そこに対するアクション、強い意志をもってやらなければいけないというような(類似文型の「~ようと思っている」は、「~したい」という欲望・希望的軽さがまだある文型:参照)、「やりたい」より「やらねば」な状況を提示してみることが大事です。

軽く文法ルールや接続のルールを確認したら、

理解確認問題として例文が2つは必要です。
今晩何をつくりますか。
→たくさんトマトがあります、トマトはもうちょっと古いです。トマトをつかいたい。トマトソースのパスタをつくるつもりです。
→今日は家族がだれもいません。何もつくらない/スーパーでお弁当を買うつもりです。

そして出された例文すべてに講師の復唱練習を課す必要があります。新しい文型を口に出してみるのは、講師のネイティブのアクセントとイントネーションでやるべきです。というようなことをやっていたら、時間はどんどんすぎますね。グループレッスンの場合、導入には最低20分はかかるかと思います。

<練習のパターンが少なくないか>

すべての文型において、以下の練習パターンがすべて必要ではないですが、講師としては一つでも多く練習の駒は持っておきたいです。
基礎:単純リピート(復唱)、語彙入れ替え、1往復の単純QA練習、文作(前件か後件どちらかを作らせる)、ディクテーションなど
発展:スピーチ、ロールプレイ、トピック会話

<英語を使いすぎていないか>

例えば、「つもり」は「plan to do」です、とだけ伝えていないでしょうか。
英語は最後の手段、あくまで学生の理解を少しだけ助ける補助的なもの、と考えておくのが大事です。直接法が、まどろっこしく感じてしまうのは実は講師自身であることが多いです。学生にとって導入時に日本語で理解できることは、その文型の定着度に大きく関わります。

<学生の顔色をうかがいすぎていないか>

「理解すること」と「使えること」は違う次元のものです。学生の目標とするスムーズなアウトプットのためには、単純な復唱練習なども、あとで地味に効いてきます。単純練習はテンポよく行えば学生の学びのエンジンがかかります。学生からの「そんなの、わかってるよ~」の圧に負けず、先生は自信を持って練習を(とくに単純な復唱練習などは)させましょう。

学生の本当の実力を測ることができるようになるには、経験を積むしかない…けれど。

担当する学生が、どのボールなら拾えて、どのボールは拾えないのか。講師は、スピードも緩急とりまぜていろんな角度から、練習という球を投げてみなければいけません。このようなうまい(インタラクティブな)練習は、講師側の熟練も必要かもしれません。

準備したものをただ消化するので精一杯な状況から、このいい塩梅、いいさじ加減は、経験を積むことで見えてきます。石の上にも三年とは、よく言ったものです。新人の先生方におすすめしたいのは、まずは三年、その中でできるだけレッスン数をこなしていく、ということを目標にしてみてください。

で、数をこなしたあとの、「いい塩梅」ですが、実はそこには罠があり、注意しなければいけないことがあると思います。それは「塩梅」を言い訳に、講師が学生の学ぶ機会を奪っていないかということ。学習者の利益と自分の利益(つまらなそうにしているな、練習やめようか、という自分の労力のセーブ)を混同してしまうこと。どんなにいやそうな顔をされても、きちんと練習すべきことはさせなければいけません(ここにもやり方やスキル、コツというものがあるでしょう→この点についても追って何か書けそうです)。自分なりのケーススタディを積み上げて、学生の利益(いい学び)のために、いい塩梅の制球ができる講師になりたいものです。

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