チャレンジしたい学生、止めたい教師
――N2文法「~げ」に見る指導のジレンマ
Contents
はじめに
みなさんの考える「いい学生」とは、どんな学生でしょうか。
授業に主体的に関わり、学習意欲が高く、好奇心もある。宿題もきちんとこなし、グループ活動では他の学生への配慮も忘れない。こうした学生は、教える側のモチベーションを高めてくれる存在であり、まさに理想的な学習者像だと言えるかもしれません。
では、質問が多い学生はどうでしょうか。
質問が多いということは、確かに好奇心や意欲の表れです。しかし、その日の学習項目から外れた質問が続くと、積み上げ型のカリキュラムから逸脱してしまうこともあります。短期的には満足感があっても、長い目で見れば効率的な上達につながらない可能性もあります。
さらに、自分で文を作りたがる学生はどうでしょうか。
インプットに偏りがちな語学学習において、アウトプットしようとする姿勢は本来歓迎すべきものです。しかし、中級以降になると、語彙や使用場面が強く制限される文型も増えてきます。そうした場合、教師としてはそのチャレンジ精神に「待った」をかけざるを得ない場面も出てきます。
本稿では、その典型例としてN2文法「~げ」を取り上げ、「チャレンジを促すべきか、制限すべきか」という教師の葛藤について考えてみたいと思います。
チャレンジが生む非文
「~げ」を導入する際、多くの教師は「接続できる語彙は限られている」として、いくつかの例を提示し、それを覚えさせる方法を取るのではないでしょうか。
例)
さびしげ、悲しげ、楽しげ
得意げ、満足げ、自慢げ
このように限定して提示するのは、非文の産出を防ぐという意味で合理的です。誤りから学ぶことも大切ですが、「~げ」の場合は簡潔に説明しにくい制約が多く、学習者に不要な混乱や失敗体験を与えてしまう可能性もあります。限られた授業時間の中で効率よく学習を進めるためには、ある程度の制限はやむを得ないと思われます。
とはいえ、一定数の学習者はそこで止まりません。
何とか自分の文をつくってみたいとチャレンジをし、非文を産出することも多い。
さらには、
「得意げ」がいいなら「苦手げ」もいいのではないか。
い形容詞が使えるなら「怖い→怖げ」も可能ではないか。
といった疑問が提示されることもしばしばです。
ここに、教師側のもう一つのチャレンジが発生します。
説明はどこまで可能か
「なぜだめなのか」、非文の所以に対して、以下二つの観点から説明できるのではないかと考えています。
①形容詞の属性
「~げ」に付く形容詞は、主観的な感情・感覚の意味を持つものに限られるため、その点でいうと「怖い」は、感情表現(私はお化けが怖い)であるとともに、属性・特性描写の形容詞(父は怖い人)でもあるため、使いにくいのかなというのが一つ。
それから、「苦手げ」が不可なのは、「苦手」は評価語彙で感情語彙ではないという点がもうひとつ。ついでにいうと、ここで反対語とされている「得意げ」の「得意」は、英語で言うとproud(誇らしい)という意味の感情語彙だと思うので、その点でOKなのではないかということ。
②接辞の生産性/非生産性
他方、言語学的な立場(言語そのものの性質)からも説明ができそうです。「初級を教える人のための日本語文法ハンドブック」P27によると、「どの言語にも“接辞”というものがあるが、その中には汎用性が高く、広く使われる接辞もある一方で、限られたものしかつかない、制限の多い接辞もある」と述べられており、さまざまな言語には、それぞれ生産性の高い接辞、低い接辞が存在することがわかっています。日本語でいえば、生産性の高いのが「~さ」や敬語の「お~」で、低いのが「げ」や「~めく」のようなものではないか。英語だと、複数の「s」は生産性が高く、「-en」は低いということ。ex) children, oxen。
このように考えると、どの言語にも歴史的変遷をへて、使われなくなったり、淘汰されてきた語彙表現があること、最終的には、「これはそういうものとして覚えるしかない」という説明も、一定の説得力を持つことになるでしょう。
学生のチャレンジをどう扱うか
ここで改めて、最初の問いに戻ります。
チャレンジする学生を、どこまで許すべきでしょうか。
もちろん、試行錯誤は学習に不可欠です。しかし、すべてのチャレンジが有益とは限りません。とりわけ「~げ」のように制約が強く、一般化しにくい文型では、無制限のアウトプットがかえって混乱を招くこともあります。
教師が制限をかけるのは、学習者の可能性を狭めるためではなく、無駄な遠回りを避けるための配慮だとも言えるでしょう。
まとめ
導入時に押さえるべき基本は、以下の点に集約されます。
①接続のルール
②語彙制限
③使用場面(丁寧さなども含む)
④発話者の意図やニュアンス
まずはここを確実に理解させることが重要です。
その上で、学習者からのはみ出したチャレンジに対しては、「どこまで説明するか」「どこで止めるか」を教師自身が判断していく必要があります。
チャレンジは尊いものです。しかし、それを無条件に許すことが最良の指導とは限りません(ここが難しい!)。
制限を教えることもまた、学習者を守るための指導である。そのバランスの中で揺れ続けること自体が、教師という仕事の本質なのかもしれないというのが私の結論です。
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