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“普通”を疑え!Cotoで日本語を教える難しさ【無意識バイアスのお話】
思い込みってコワイ…
「IT企業だから、普通に考えて社員さんはパソコン操作は大丈夫でしょ」
「大企業だし、新入社員の教育システムはしっかりと構築されているはず」
「管理職ってことは、普通なら部下の話を聞くことには慣れているだろう」
…これらは私が仕事で訪問した企業に対して勝手に思い込んでいたことです。現実は全然違い、訪問先で焦りまくったしくじり事例なのでした。。
私のように痛い目に遭った経験でもあれば、自分の思い込みや先入観に気づく機会もあるでしょうが、こういったものは気づくことが難しいアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み・先入観)なので、そもそも気づく機会がなかなかないのかもしれません。
バイアスといえば、私が気になっているのは、YouTubeなどで出てくる過剰ともいえるような日本賛美の動画、または特定の国の人への攻撃や蔑みの動画です。
攻撃や蔑みの例で言えば、日本旅行中に奈良公園の鹿を蹴る、電車など公共の場で大声で騒ぐ、近隣住民に迷惑をかけてまで絶景の写真を取る、立ち入り禁止区域に勝手に入る、などです。
たしかにその行為をした当の本人は非難されても仕方ないかもしれませんが、このような動画や投稿・ネット記事を見ると、特定の国の人をすべて一括りにして叩くコメントで溢れています。
賛美にしても攻撃にしても、共通して言えることは「主語が大きい」。
何度も繰り返し同じような情報に触れているうちに、最初は違和感があった情報や考え方に対して何も感じなくなり、バイアスがどんどん強くなっていることに気づかなくなっているのでしょう。
これらは、ステレオタイプ(性別や国籍などの属性に対する先入観・固定概念に縛られてしまうこと)や確証バイアス(自分の偏見や思い込みを強化する情報ばかりに意識が集中し、認識に偏りが発生すること)に分類できそうです。
「自分は大丈夫」が一番危ない!?
私は大丈夫!バイアスなんてない!…そう思いたいですよね。
ところが自分では気づかない(アンコンシャス)なのが、バイアス(思い込み)なのです。
よくあるアンコンシャスバイアスのクイズをご紹介します。ぜひ考えてみてくださいね。
■クイズ1
ある男が、自分の息子を車に乗せて運転をしていました。
残念なことに、その車はダンプカーと激突して大破。
救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡してしまいます。
息子は意識不明の重体となり、病院に運ばれます。
手術室で、運びこまれてきた子の顔を見た外科医は息をのみます。
そして、次のようなことを口にしました。
「この少年を手術するのは、とても辛くてできない。…この少年は私の息子なのです。」
・・・・・・
さて、これはどういうことなのでしょう。
「運転していた父親は死んだ」と書いてあるのに、外科医が「この怪我人は自分の息子だから」という発言を見て、「父親はもういないはずなのにおかしい」「もしかして死んだ父親とは同性カップルだった?」と思った方がいらっしゃるかもしれません。
正解は「その外科医は少年の母親だった」です。これは「外科医は男性」という無意識バイアスに気づかせるクイズです。
もう一問やってみましょう。
以下は、私がキャリアコンサルタントの訓練を受けていた時に出会った事例の一部です。
■クイズ2
コンサルタント「その時は、どんな気持ちでしたか?」
クライアント「とてもつらかったです」
コンサルタント「“つらかった”お気持ちをもう少し詳しく話していただけますか?」
クライアント「汗だくで働いているのに仕事が全然取れなくて、焦るやら自分が嫌になるやら、家族にも当たり散らかして険悪になるし…」
コンサルタント「自分が嫌になる、という気持ちもあったんですねぇ」
・・・・・・
さて、このときのクライアントの発言「汗だくで働いているのに仕事が全然取れなくて」からどのような状況が思い浮かんだでしょうか?
私は「営業成績がゼロで、その状態がしばらく続いている。そのやるせない気持ちから家族と言い争ってしまった」と見立てを立てていました。…いや、見立てなんてかっこいいものではなく、そう思い込んでいました。
しかし、実はクライアントは会社のノルマはすでに達成しており、成績で1位になれなかったことを「仕事が全然取れなくて」と言っていたのでした。また、「いつも」ではなく「今月のみ」だったのです。
じゃあ最初からそう言ってくれよ〜!普通はそう思うじゃん!と言いたくなりますが、でも確かに「仕事がゼロ」とも「いつも」とも言っていないんですよね。聞き手が勝手に思い込んでしまったのでした…。
あえて伝えよう…Cotoで日本語を教える難しさを!
さて、日本語教師の立場でこのアンコンシャスバイアスを考えてみます。
例えば一般的な告示校ですと、入学と卒業により期間と学習内容が決まっており、そしてほとんどの学生にJLPT合格や日本での就職という目標があると思います。その場合、期間内に学生が目標達成できるようにすることが教師の主な役割となります。
それでは、Cotoではどうでしょうか。
学生皆が試験を受けるわけではないし、明確な目標を持っているとも限りません。
日本人のようにペラペラになりたい!と必死で頑張っている人もいれば、旅行中にちょっと日本人と会話したいだけの人もいます。
私の学生の一人は、日本語に触れていると、青春時代の楽しい思い出や、その時の瑞々しい気持ちを思い出すと話してくれました。彼にとって日本語を勉強することは、ポジティブな自分になったり、ストレスを解消したりするための手段なのです。
このように多種多様な学生がいるCotoにおいて、教師が自分の思い込みに気づかず学生と接してしまうと、Cotoのレッスンフィロソフィーのひとつである「学習者のゴール・環境は様々であることを理解しサポートする」は難しくなっていくでしょう。
最後にあと少しだけ。
みなさまは、このような学生にどのようなイメージを持つでしょうか?
①日本に10年住んでいる
②日本に一度も行ったことがない
③漢字は勉強したくない
④1歳の子の育児中
⑤なにかと英語で話してくる
上記は、実際に私が担当した学生さんの事例です。
①10年もいたら日本語はかなりできるだろう…という思い込みで最初のレッスンをしたら、「コーヒーが飲みたいです」も言えなかった。
②日本に一度も行ったことがないのに、日本語のネットニュースどころか徒然草や方丈記さえ読める。
③漢字を勉強したくないと言ったのは、日本語の中でどれだけ漢字が使われているか知らず、わからなくても支障はないという認識だったから。
④育児中でいっぱいいっぱいだろうから、宿題を出すと負担が大きいかな…と思っていたら、むしろ宿題大歓迎で、しかもフルタイムでバリバリ仕事をしていた。
⑤とにかく私の質問に何とかして答えなきゃ!というプレッシャーから英語が出てしまっていただけで、教師にはできるだけ英語は使ってほしくないと思っていた。
いかがでしたでしょうか?
「だろう」と決めつけずに、「かもしれない」というスタンスで、ちゃんとコミュニケーションをとっていくことがいかに大切か…。
一説によると、人間にバイアスがあるのは、経験から危険を回避するために備わっている生存戦略(本能的機能)があるためだそうです。
ですから、バイアスを完全になくすことはできないし、あるのが悪いわけでもありません。
ただ、ものごとを歪んだ形で認識してしまうという不合理的な側面もあるのも事実です。
自分にもバイアスがある、自分にとっての「普通」は、相手にとっての「普通」ではないかもしれない、自分と相手とは違うことが当たり前、という謙虚な姿勢を忘れず、相手を決めつけない教師でいたいものです。
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