「とおりに」と「ように」はどう違う?
言い換えられないこともある
先日、実家の片づけをしていたら、小学校六年生のときの通信簿を見つけました。その中の通信欄に、
「素直ではあるが、教師の言う通りにしかしません。」(意訳)
と、担任からうちの親宛てのメッセージが?!
よほど私は先生に従順な「いい子」だったのでしょうか。いやいや、これはぜんぜん誉め言葉ではない…自分で考える力や、想像力の欠如、従順さの持つ危うさを担任の先生は心配されていたのだと思います。
閑話休題。
「とおりに」と「ように」は入れ替え可能な場合や事例もありそうな一方で「教師の言う通りにする」は「教師の言うようにする」とは言い換えられません。
というわけで、今回のお題は「とおりに」と「ように」二つの違いについて例文を検証しながら探ってみようと思います。
検証1
①思ったとおりに、ならなかった。
②思ったように、ならなかった。
後ろが同じ二つの文。どちらも文法的には成立していますが、二つの間には何か違いがありそうな気がします。①の場合、頭で思った内容についての再現度が低く残念だ、という意味に感じ、②は思った内容というより予想していた期待値に及ばず残念だという意味に感じませんか。
もう少し説明文を加えたり、文脈を付加したりして、考えてみましょう。
①自閉症の人が持つ一つの特性について「思ったとおりにならないとパニックを起こす」という説明をするとき、そこでは「とおりに」が適切だと思うのですが、それはなぜかというと、頭の中のイメージと結果の再現度・一致度について話しているからだと思うんです。
しかし②の場合だと「レシピ通りにつくったが、思ったようにならなかった」のように、再現度・一致度についてではなく、期待値(おいしさや出来栄え、全体の雰囲気とか)に及ばなかったという意味のように感じます。
検証2
ほかの例をもう少し。
たとえば、外国語学習における発音練習の際。
講師が「みなさん、私が言うとおりに言ってみてください」というのは、一言一句同じ言葉を同じイントネーションで話すこと(再現度・一致度)を求めているからじゃないかなと感じます。(「言うように」はNG)
つまり、
「とおりに」再現度・一致度
「ように」期待度
が、二つの違いを考えるときの、キーワードになってくると思います。
また、他の角度で見ると、
「とおりに」具現
「ように」抽象
というのもあるように思えます。
学生の生成した文から考えてみる
①昨日話したとおり、会議の時間は10時からです。
➁昨日話したように、会議の時間は10時からです。
学生から①②の文を提出された場合、どちらも許容しますか。許容しない場合、どう違いを説明したらいいでしょうか。
私は②には若干違和感があると思いました。なぜかというと、これまで述べてきた中で、「とおり」=再現度(具現)、「ように」=期待度(抽象)と考えると、文の後ろに来ているのは「会議の時間」のような具体性のあるものであり、話者の論点は、その正確さ、一致度についてであるから、です。
では、文の後ろに以下のような文がくる場合、
・鶏のむね肉を食べる
・毎日筋トレする
前に来るものは、ジムのトレーナーが言った「とおり」「ように」どちらがふさわしいと感じますか。
これもやはり、内容が具体的で、忠実な再現度についての話であれば「とおりに」がふさわしそうです。
・ジムのトレーナーが言ったとおり、鶏のむね肉を食べるようにしています。
・ジムのトレーナーが言ったとおり、毎日筋トレしています。
まとめ
というわけで、「とおりに」「ように」の違いを学生に伝える(教える)ときは、多少短絡的でも
★「とおりに」item(項目) focus
★「ように」state(状態) focus
と伝えるのがいいのではないかなと思います。
そして、そのロジックに合うように、いささか都合のいい例文ではありますが、
「文や語彙のリピート(復唱)練習をさせるときには、先生はいつもこういいますよね」、と前置きしながら
〇私が言うとおりに言ってみて。
✖私が言うように言ってみて。
という例文を出すかなと思います。
また、学生にとって、その記憶の定着に有効であると判断すれば以下のような説明もあり、かもしれません。
・通り(マニュアルやルールと言った道理に沿う)
・様に(様子、様態、雰囲気に沿う)
という漢字を提出し、意味から類推させるのです。
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