予定の「ようと思っている」と「つもりだ」の違いをどう説明するか
学生からのよくある質問
初級教科書「げんき」では、10課で「つもりだ」、14課で「ようと思っている」、「みんなの日本語」では31課で2つの文型を同時に学習します。
2つの文法を習った時点で学生からよくある質問が、「(どちらも予定ですが)違いは何ですか」です。
ではなぜ学生からこのような質問が出るのでしょうか。原因は3つほどあるように思います。
・両方とも「予定」planの機能として使っているが、どういう使い分けがあるのかが気になる。
・「ようと思っている」のニュアンスは英語になさそう?である(英訳をみるとam thinking of –ing、どちらかというと「思っている」のほうにフォーカスがあるため、意向形を使う意図が理解しにくい?)。
・英語訳を見ることで混乱、あるいは2つの文型の違いが見えにくくなっている。「げんき」の教科書では「ようと思っている」の説明にdetermination(決心・決意)を使っているので、ともすればintention(つもり)より強固な意志・決意とも解釈されてしまうおそれもある…。
というわけで「ようと思っている」は、英語訳(あるいはその他、自分の母語による訳文)により、学生からは違いが見えなくなるという典型的な文型かもしれません。媒介語で考えるのがよくない好例のようなもの、と言ってもいいでしょう。というわけで、直接法の強みともいえる文脈や状況、気持ちなどから「使いかた」を類推すべきです。
違いを説明するには
そこで、まず学生に説明すべき構造上の大事な違いは、
「ようと思っている」には否定形が接続できないという点です(意向形に否定形がない)。
もちろん「これ以上、太らないようにしようと思っている」という言い方でできないこともないのですが、「ようにする」が未習の間は一旦保留にしておきます。
そのうえで、
- 違い① 「つもり」のほうが、実行・実現に向けての「意志」が強く伝わる(しかし実現可能性とはまた別の話。意志が強くても状況によっては実現が難しいことは多々ある)。
- 違い② 「ようと思っている」のほうが期待感、ワクワク感、前のめり感、やりたい感が強い (「つもり」は覚悟があって、シリアスな感じ、やらねば感)
という説明はできるかもしれません。が、これらの違いは主観性に基づくもので、学生には少々パンチが弱い。講師としては、学生が納得して自信をもって使うためにはどうすべきかを考えなければなりません。
練習の文脈で理解させる
そのときは、例文を出してニュアンスをつかませます。
例えば、
「ようと思っている」のほうが意志が軽めで弱いので、結果できなかったという場面との親和性が高い。
- ~しようと思っていたけど、(自分のせいで、自分の意志が弱くて?)できなかった。
・今日こそは親に電話しようと思っていたのに、できなかった。
・週末は勉強しようと思っていたのだが…。
・衣替えをしようと思ってクローゼットを開けたものの…どこから始めたらいいのかわからず。
「つもり」だと、結果不履行は、状況のせいにできそう?
- ~するつもりでしたが、(どちらかというと状況のせいで)できなかった。
・ボーナスは貯金するつもりでしたが、思ったより少なかったのでできなかった。
・週末は勉強するつもりだったのですが、子供の世話に追われてしまい難しかった。
・今週は衣替えをするつもりだったけど、また寒くなったので断念。
また、アドバイスをもらうときは、「ようと思っている」から始めるほうが自然です。他の人のアドバイスをもらう前に「つもり」は強すぎるかもしれません(意志が決まっているのならアドバイスの必要がない)。
・専門学校に行こうと思っているんですが、私の日本語のレベルはどうですか。
・来年N3を受けようと思っているんですが、間に合いますか。
また、「ようと思っていた(た形)」は「同時性 synchronicity」 “be just about to” の文型で、言い訳をしたいときには必ず口をついて出ます。どの言語環境でも親子や家族、親しい友人との間ではあるある場面だと思うので、ここでこそ「意向形」の意味、まだ行動はしていないけど「意志」はちゃんとあるのよ~、ってニュアンスが伝えられるかもしれません。
例)
母:宿題した?(部屋は片づけた? 明日の準備した?etc…)
子:(うるさいなあ)今からやろうと思ってたのに…(お母さんに言われたら、やりたくないよ)
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