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Coto全体会報告レポート① 発達障害者支援の現場から学ぶ日本語教育
全体会=全教師・スタッフの交流&勉強の場
Cotoでは、対面・オンライン両方の教師と、スタッフのみなさんが一堂に会する全体会が定期的に開催されています。
先日行われた全体会では、ゲストスピーカーのお話や、全拠点の先生同士が学び合うケーススタディがありました。この会の様子や学びを2回にわたってご報告いたします。
1回目の今回は、ゲストスピーカーである園田貴子先生のお話から学んだことをシェアさせていただきます。
園田先生は、支援学級でも働いていたご経験を生かし、約20年間発達障害をもつお子さんや、海外駐在、また親のどちらかが日本人であるお子さんを中心に日本語を教えられています。現在はオンラインメインで30名ほどの学生のレッスンをご担当中ですが、新規学生の受け入れができないほど大人気の先生です。(講師紹介のページはこちら)
会では、これまで園田先生が対峙してきた、発達・学習障害(ダウン症、自閉症、ADHD、アスペルガーなど)のある様々な学習者の具体的な事例の紹介と共に、Cotoでもよくありそうなケースの有効的なアプローチや指導法について話していただきました。
発達・学習障害は、近年社会的にも関心が高まっているテーマだと思いますし、私自身も頻度こそ高くはありませんが、レッスン中に「あれ?もしかして…この学生さん…」と戸惑うこともあります。他の先生方もそうだったようで、私と同じグループの海外在住の先生は、時差の関係で現地時間の真夜中にもかかわらず、「どうしてもお話を聞きたくて!」と参加されていました。すごい熱意です…!
ゲストスピーカーの事例紹介は、豊富な経験に裏付けされていて勉強になるだけでなく、人間に対しての深い愛情が感じられ、その優しいお声と相まってとっても癒されました!
教師として大切だと感じたこと
私を含めほとんどの教師は、いわゆる健常者を相手にしているでしょうから、「なぜ日本語教師が発達障害を学ぶ?」「学習障害のある学生さんは担当していないけど?」という方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、障害の有無にかかわらず、また教える対象が日本語かどうかにかかわらず、広く教育業に関わっている人間が持つべき大切なマインドセットがあると思います。
障がい者教育の専門家でも何でもない私が個人的に感じたことで恐縮ですが、園田先生のお話を聞いて、あらためて大切だと思ったことを3つにまとめてみました。
①過程を楽しむ
スピーチを聞いて胸を打たれたエピソードがありました。あるダウン症の学生(Aさん)の事例です。園田先生がAさんを教え始めたのは10歳の頃。知能の障害もあるため、言葉による会話がほとんどできず、さらに難聴ということもあって、やりとりは手話を通し行われていたそうです。そのAさんが18歳の時に聴覚の精密検査を受け、補聴器をつけることになったところ、一気に会話ができるようになったというのです。これには先生も親御さんもビックリ。
驚いたのは、それまで教えてきたことがちゃんと学生さんの頭に入っていたことです。会話ができなかったのは、理解していなかったのではなく、あまり耳が聞こえなかったことが大きかったようです。よく聞こえるようになったことで、コップから水があふれるように言葉が口から出るようになったというわけですね。
先生は、言語以外にも、顔を上げて話すことや人と目線を合わせること、お礼を言うことなど、人として大切なことを忍耐を持って教え続けているそうです。
正直に言いますと、「私にはムリ!あまり進歩が見えない学生さんに対して、何年もの間辛抱強く接するなんて…」と思いました。自分の労力と時間をかけて教えた分、相手に目に見える変化や成果を期待してしまうのが普通ではないか、と。
ただ、こうも思いました。教師としての経験が少しずつ増えていっている一方で、学生をJLPTに受からせることや、レッスンをカリキュラム通りに終わらせることに意識が向きすぎて、楽しむことを忘れかけていないか?と。
もちろん結果や成果は大切です。でも、それは過程を楽しむことと相反しないはずです。
Cotoには3つのレッスンフィロソフィーがあります。
その中の2つ目に、「新しい知識や経験・達成感・伝わる喜びを得られる」とあるのですが、教師は言葉を学ぶ本来の楽しさや喜びを学生と一緒に分かち合う存在であったと、初心に帰る機会をいただきました。
②学生を取り巻く環境を理解する
ゲストスピーカーのお話の中に、「学生の親御さんや地域の方々など、周りの協力がなければ良い教育はできない」「学生を取り巻く環境が大切」とありました。事例では、毎回学生の宿題を熱心にサポートしてくれるお母さんや、学生さんを見守る体育館の職員さんの話などが紹介されていました。
これはCotoの学習者さんにも言えることですよね。「学生が、家族や職場など周りの人とコミュニケーションをする言語は?」「日本語を学ぶ目的・ゴールは?」「どんなことに興味がある?」など、学生の背景や取り巻いている環境を理解することは、良いレッスンをする上でとても大切なことだと思います。
実はこの話を聞きながら、私はある学生さんのことを思い出していました。彼は、私のレッスンを9カ月ほど受けてくれています。宿題も欠かさず提出する学生さんでしたが、ある日を境にピタっと出さなくなり、スランプにも陥っているようでした。
ある日のプライベートレッスンで、彼の表情が曇っていることが気になった私は、しっかりと話を聞くことにしました。その時、頑張っても頑張っても日本語がなかなか覚えられない悔しさや恥ずかしさを話してくれたのです。
また、彼は日本語がほとんどできない状態で日本に来て、職場でも直属の上司以外は英語が通じず、賃貸住宅を借りるのも、インターネットを契約するのも、銀行口座を開設するのも、一つ一つに大変な苦労をしていました。単身で来日しており、現地の知り合いもほとんどいないため、周りの人からの言語サポート・生活サポートはあまり望めない状況です。
そのことをある程度は聞いてはいたものの、あまり深く踏み込むのはプライベート領域に入りすぎるのでは?という言い訳じみた気持ちもあり、ちゃんと向き合えていなかったことに気づきました。
私ができるのは言語的サポートと心理的サポートのみではありますが、彼の気持ちや状況をしっかり聞いた上で、もう一度、学習目的や進度の確認をしたり、教材をいつくか提示した上で希望をヒアリングしたりしました。どういう学習プランがいいのかしっかり話し合い、双方納得する方法を見つけることができました。
Cotoのレッスンフィロソフィーの中に、「リラックスして楽しく学び続けられる」とありますが、リラックスして楽しく学び続けてもらうためにも、学生さんを取り巻く環境を理解し、できることがあればサポートできたら理想的だと思います。
③教師の「力み」が学生に伝わる
学生さんやレッスンに何か問題があるとき、まじめな先生ほど「なんとかしなきゃ!」と最善を尽くそうとするはずです。しかし、園田先生は「教師がこうしなければ!と力むと学生に伝わる。そしてたいてい状況が悪くなる」「学生をコントロールしようとしない」とおっしゃっていました。
これはとても大切なマインドセットだと思いませんか?教師が自然体でいられなかったり、楽しめていなかったりするのは、学生にとっても教師本人にとっても不幸なことなのです。
現実的に考えて、すべてが上手くいっていることなんてありえないですよね。問題が起こる度に教師が心を痛め、頭をフル回転させ、力んでいる…その状態が悪いということは、冷静に考えると分かるのですが、なんとかしようと肩に力を入れて頑張ってしまうのも理解できます。
「ま、できる限りのことはやるけど、あとはなるようになるさ〜」ぐらいのマインドの方が、教師も学生もハッピーになれるんだと思います。
教師が追い込まれないために
ゲストスピーカーは「学生が自分自身を生きられていることが幸せだ」とおっしゃっていました。これは、教師が学生に何ができて何ができないのか、何に興味を持っているのかを理解し、1人1人に合わせたサポートをしているからだと思います。
例えば、「ADHDの人はこういう傾向がある」とは言えても、万人に通じるやり方はありませんから、相手をよく観察し、信頼関係を築き、手さぐりで最善の方法を探していくことになります。
一方で、「突然怒り出す」「なぜか泣き出す」「理解ができない行動を起こす」など、なにかと地雷が多いのも障害を持っている方のひとつの特徴のようでして、これを専門家でもない日本語教師が対応するのは、正直言って負担が大きすぎるとも思いました。
日々のレッスンや準備に追われている日本語教師が、(あれ?この学生さん、もしかして発達障害?)と思った時に、一人でなんとかしようとすると、精神的に追い込まれてしまうリスクがあると思います。
そのため、周囲に相談できたり、情報共有できたりする教師へのサポートもますます大切になると考えます。教師がハッピーでないと、学習者もなかなかハッピーになれないからです。
…というわけで、今回はここまでとなります。次回は報告レポート②ということで、日本語教師なら必ず体験する(?)3つのケーススタディをシェアさせていただく予定です。
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