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婉曲表現の今昔〜回りくどい表現は「攻撃」になる??〜
先日、cotoのコミュニティ・チャットにご自身の経験をシェアしてくださった投稿がありました。
中級学習者と日本語の文末表現について勉強していたときのこと。次のようなご意見をいただきました。
日本語では、「この部屋、暑くないですか」と状況描写をするだけで「エアコンを入れてほしい・窓を開けてほしい」ということになるけど、この表現ってpassive aggressiveじゃないですか?フランスでは一番使ってはダメな言い方です。このような言い方が日本では許されているのですか?」
婉曲的な表現は、昨今よく聞くようになった言語運用における”passive aggressive(受動的攻撃性)”だと考える人もいるというのです。
その先生は、日本語教師として、学習者が他の日本人から誤解されたり下手な軋轢を生んだりしないように、またある程度社会生活をスムーズにスマートに生き抜くために、日本語ならではの婉曲表現の必要性は教えるべきだと考えていたので、ちょっと戸惑ったそうです。ということで、昨今は学習者のパーソナリティにも合わせて、ソフトランディングできる表現を教えたいと思い始めたとおっしゃっていました。
たしかに日本語ネイティブは直接的な表現を避け、婉曲表現を使う傾向があります。
実際「~がほしいんですが…」「うーん、明日はちょっと…」といった婉曲的な表現が初級テキストから出てきますし、レッスン中に学生の発言が日本語会話の中で直接的すぎると感じたときは、「~じゃないでしょうか」「~のような気がします」といったやわらかい印象の表現を教えることもあります。
ですから「passive aggressive(受動的攻撃性)じゃないか?」という意見をもらった、というチャットの投稿を見たときは驚きました。そして「たしかに~!」と唸ってしまいました。
というわけで、今回はこの婉曲的な表現について、「今・昔」という観点から考えてみたいと思います。
婉曲表現は日常的に使われている
先ほどのpassive aggressive(受動的攻撃性)についての投稿を読んで、私は最近仕事で訪問したある企業で聞いた話を思い出しました。
その会社の管理者数名とお話をしていたところ、顧客対応をしている従業員の採用と育成の問題が挙がってきました。
管理者方のお話では「お客様のお話を言葉通りに受け取ってしまうスタッフがいる。例えば、この部屋暑くないですか?とお客様が言ったとして、エアコンを入れてほしいとか、窓を開けてほしい、といった言葉の裏の意図に気づけない。でも意図把握力はこの仕事において必須のスキル。どう磨けばいいのか…」ということでした。
まさに! 投稿にあったとおりのお話ですね。
お客様が自分の要望や気持ちを婉曲表現で伝えてくるので、スタッフさんにはその意図を把握する力や空気を読む力がどうしても必要になるわけです。
回りくどい言い方をする方(=お客様)に問題があると考えるのではなく、話し手の言外の意図に気づけない聞き手(=スタッフ)に問題があると考えられているのは面白いですよね。
多くの日本の職場において、婉曲的な表現ができるスキルだけでなく、婉曲的な表現の意図に気づける力も重要であることは間違いないでしょう。
そんなわけで、婉曲表現が当たり前の社会で生きてきた私にとっては、先ほどの投稿の学習者さんの「passive aggressiveじゃないか?」という視点は新しい視点でした。
日本だけに婉曲表現があるわけではない
婉曲表現は、関係性では距離の遠い人とのコミュニケーション、また場面だとビジネスでのやりとりでは必須スキルと言えます。
この回りくどい表現は日本だけに限った話ではなく、東西・国を問わず多かれ少なかれあるように思います。皮肉やブラックジョークなどもこの類かもしれません。
実際に、こちらのチャットに投稿された別の先生が以下のように言っていました。
ドイツ人の学生が「先生、寒いですか」としきりに心配そうに聞いてくるので「いいえ、大丈夫ですよ」とエアコンをつけずに授業していた。しばらくして「先生!私は寒いです」と言われてしまった。
「最初から”先生寒いです”!とか、”エアコンをつけてもいいですか?”と言ってくれればいいのに!」とも言いたくなりますが、その方は「言葉の真意に気づけず、私の配慮が足りなかった…」と反省されたそうです。
この感じ方からも、聞き手のほうに婉曲表現の意図を理解することが求められていると分かりますよね。
具体的・直接的表現の必要性の高まり
先ほどのドイツの学生さんのエピソードで触れたように、婉曲表現は国を問わず多かれ少なかれあるように思います。
しかし、古今(年代)によってはどうでしょうか。
年代によっては回りくどさが禁忌のようになって、passive aggressive(受動的攻撃性)などというコトバも生まれてきたのではないでしょうか。
個人的には以下の3つの背景のため、具体的・直接的表現の必要性が高まっていると感じています。
①多様性が大切にされる社会
婉曲表現は相手の気持ちを慮ったり、不必要な衝突を避けるための表現だと言えます。しかし一方で相手に意図が伝わらなかったり、passive aggressive(受動的攻撃性)と捉えられてしまう危険性もはらんでいます。
特に様々なバックグランドの方と共存するダイバシティな社会では、「空気を読む」や「阿吽の呼吸」が通用しにくくなります。
誤解による衝突を避けたり、ミスコミュニケーションによる非効率を防いだりするためには、直接的・具体的な表現を使う必要が出てくるわけです。
②ネットコミュニケーションの浸透
ネット上でのコミュニケーションが当たり前になってくると、表情や声のトーンを汲んで相手の意図を察することが難しくなります。
SNSや動画のコメント欄が言葉の応酬になっていたり、些細なことから炎上しているのをよく見かけますが、これも「書き手の真意」と「読み手の解釈」のズレが原因になっていることが往々にしてあるように思います。
このようなリスクがある環境下では、相手に誤解を与えない直接的な表現が常に求められるのではないでしょうか。
③意図や空気を読むことが苦手な方々への配慮
以前、発達障害に関する衝撃的なニュースを見ました。
文部科学省によると小中学生の8.8%、つまり35人学級であれば3人ほどに発達障害の可能性があるというものです。
小中学生の8.8%に発達障害の可能性 文科省調査 – 日本経済新聞 (nikkei.com)
発達障害者の方が増えたというより、発達障害への認知の広がりが背景にあると考えられています。
ビジネスコミュニケーションの場においても、言語化する能力が求められている昨今です。5W1Hが含まれた具体的で直接的な指示が必要とされ、「上司の顔色を見て」「先輩の背中を見て」「お客様の様子を見て」が通用しなくなりつつあります。意図や空気を読むことが苦手な方々への配慮は昔より必要になってきているようです。
まさに「古今」「年代」による変化ですね。
さいごに 婉曲すぎるのも問題!?
最近、こんなことがありました。
私はあるデパートのお化粧室を使用していました。個室から出てきたところで、私は隣の個室を使っていたと思われる女性から声をかけられました。
「ここ(私が使っていた個室)の音姫は壊れていませんか?」と。
…どういうこと?
なぜこんなことを聞かれたのかさっぱり分からず、一瞬返事が遅れました。
質問の意図がつかめなかったので、とりあえず言葉通りに意味をとって「壊れていませんでしたよ」と返答。
そのあと、彼女は「私のところの音姫がならなかったのよね~」と。ようやく意図が少し見えてきました。
おそらくこうです。
公共の場の個室を使用する時は流水音を流すのがマナー
↓
しかしなぜかボタンを押しても流水音が鳴らない
↓
しかたなくそのまま用を済ます
↓
でも隣の個室の人に流水音を鳴らさない人だと思われたくない
↓
隣から出てきた人に暗に自分が使っていた個室の流水音がならなかったことを伝える
↓
しかたなく使わなかったのだと理解してほしい
…ということかと。たぶん。
分かるかーーい!いや~、回りくどすぎる!
まあ内容はさておき、、、あまりにも遠回しな言い方は、相手に負担をかけるだけでなく、戸惑わせたりイライラさせたりするリスクもあるな、と感じました。
こういう時、直接的でかつ柔らかい表現が使えたら素敵ですね。私ならどう伝えるかなぁ…
ちなみに
隣の個室をチェックしてみたところ、機器がコンセントから抜けているだけでした…。次の人のためにコンセントをはめておきました。笑
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